OTO

Triptych / Shohei Takagi Parallela Botanica

人の夢と夜明けと現実の狭間を見る

kakubarhythm.com

 

cero・髙城晶平のソロプロジェクト、Shohei Takagi Parallela Botanicaの1stアルバム『Triptychが昨日、4/8にリリース。もともとcero好きの私なので、めちゃめちゃ楽しみにしていたアルバムだっただけに、早くも朝から晩まで1日中聴いてしまった。

というのも、とにかく最高。

今回は特設サイトも見ず、そのほかの前情報も入れずに聴いたんだけど、直近のアルバム『POLY LIFE MULTI SOUL』でリズムに特化したceroとは対照的に、アルバム全体としてはムーディでメロディックで、歌やメロの印象が強い。

ギリギリ行けた今年3月の「TOUR 2020 “Contemporary Sendai Cruise”」東京公演でもそうだったけど、最近のceroのライブでは髙城さんの歌がめちゃめちゃに良くなっていることが私の中では結構大きなトピックスで。(めちゃ偉そうですみません…。)

良くなっているというのは、超ざっくりだけど、声に芯があって、でも不要な力が入っていなくて、しっかり曲の中で聴かせる歌になっていっていたというか。『POLY LIFE〜』のアルバムがリズムに特化した作品だったし、ceroの場合は楽器の数も多くて、演奏自体も複雑で面白いだけにそっちに目が行きがちなので、それだけでも十分楽しめる音楽だと思うんだけど、それでも髙城さんの歌がしっかり入ってきて、それがちゃんとプラスアルファになっているのがすごいというか。あの複雑なリズムの中で歌う、そしてさらにそれを聴かせる(という意図があったかはわからないけど)というのは、ちゃんと歌自体の力がないと難しいことだったように感じていたし、そんな中で、ライブを見る度にいい意味でどんどん髙城さんの歌が際立っていたのが、ここ最近特に印象的だったので。だからこそ、髙城さんの歌を沁みるように聴かせる今回のアルバムが来てめちゃくちゃ納得だし、万々歳なわけですよね。

昨年1月の渋谷クアトロの初ライブで初めてオリジナル曲(“ミッドナイト・ランデヴー”だったのかな)を聴いたときも、実はもっと複雑で実験音楽みたいなものをやるのかな?みたいに思っていたところも少しあって、実際にライブを観ながら「あれ?歌だな?」「しかもなんだか懐かしい気持ちになるやつだ」と、意外に思ったのを覚えている。特に当時直近作の『POLY LIFE 〜』で新しいものを提示していたceroインパクトがかなり強かったからだと思うけれど、その時から確かに感じていたceroとの違いは、アルバムになるとその世界観もさらにはっきりと浮き出てきたし、ceroとはまた別の上質な音楽に触れられて嬉しい限りである。

アルバムタイトルの「Triptych」は、3枚続きの絵画のことだそうで、今作では、全9曲の楽曲がそれぞれ2曲終わるごとに「トリプティック#1」「トリプティック#2」「トリプティック#3」とインスト曲が挟まれる構成。収録曲のタイトルに含まれる「トワイライト」「ミッドナイト」「モーニング」などのワードや各楽曲の歌詞、曲調などから連想されるのは、夜の始まりから夢の中、そして夜明けと目覚めのあとにやってくる現実、という一連の流れだった。

M1,2で、現実から離れ幻の夜にゆったりと深く入り込んでいくような浮遊感のあと、夢の中で脈絡ない展開に翻弄されているようなM4、そして哀愁漂う切なくドラマティックな夜の終わりを告げるM7,8からの、M9「トリプティック#3」で力強く不穏なギターの音で再び現実に飲み込まれていくようなラスト。

それは、泥酔して大騒ぎした夜のあと眠りにつき、目が開いているのか閉じているのかもあやふやなまま、ぼーっと目覚めたときの頭の重さと、それによって1日の終りと幕開けを同時に知らされる昼前の情景を思わせた。(これは酒飲みの私が思い描く個人的な情景でしかないのかもしれない。)

でもこのM9のインスト曲が個人的にはめちゃめちゃ斬新だった。深いのか浅いのかわからない曖昧な眠りから目覚めたあと、気だるい体をなんとか起こしてぐったりと過ごす午後の様子さえも思い浮かべられるような、明らかにこのあと何かが続いているようなエンディング。小説にもいろんな終わり方があるけど、このアルバムの終わり方はすっきりハッピーエンドで終わるような清々しいものではなく、不穏な空気を残したまま終わる。でもそれはどこまでもリアルで生々しい日常が続いていることを示すようでもあって、誰しもが感じたことのあるであろう夢と現実とのギャップのようでもある。そんな物語の終わりと、そのあとの生々しい現実とが地続きに続いているような感覚は、私の中ではすごく村上春樹的な気がした。(詳しい人にはそうじゃないと言われるかもしれないけど。)

全体を通して、いつも通り音像の作り方にものすごくこだわっているのはもちろんなんだけど、いつもと違うのは、エモーショナルで人情的というか、作品全体が纏う哀愁や切なさも含めて、人の感情にダイレクトに訴えるようなメロディや歌謡感。『POLY LIFE〜』や最新曲「Fdf」でもリズムや打ち込み重視のアプローチが中心になっていたceroに対して、感情的で人間的なアプローチの今作『Triptych』は、極端に言えば、このAI時代に積極的に適応しながら己をアップデートして生きるceroと、そんな時代の中で生身で生きる人間、「Shohei Takagi」の音楽だと言えるのではないか。時代に適応する能力やセンスは常に重要だし、AIのような新しいものとうまく共存しながら生きていくことが求められる世の中ではあるけれど、その中でも人の記憶や心はなくならない。そしてそれらは、どんな状況においても決してないがしろにしてはならないものであるはずだ。『Triptych』は、もちろん絶対的にどこまでも音楽的でありながら、そんなことを再確認するような、人の心に届くストレートな作品でもあると思う。

上では#3についてしか書かなかったけれど、アルバム全体の世界観を絶妙に繋いでいく「トリプティック」は#1も#2もとにかく素晴らしいし、M5「オー・ウェル」もめちゃめちゃ最高なので、本当にこれから何度も聴ける作品。ceroもそうなんだけど、何度聴いても気づかないことやわからないことがあって、聴く度に新しい発見がある。こうして書きながら聴いていても「あ!」と思うこともあったりしてなかなかまとまらないので、無理やり終わらせる(笑)。

みんなはどう感じるだろう。各メディアでインタビューやレビューが出てくるところだと思うので、これからまたそれらを見て楽しもうかなと思います。深い。